コロナ禍での帰国判断の遅れについて思う事
このブログもひっそりとしてきたので、さりげなく重たいネタでも書いてみるのだ。
近況について
成田で待機生活をしている間に緊急事態宣言(4/7)が発令されたのだが、それもようやく(5/14)39 県で解除となった。発令中はずっと実家に居て(住民票も出発前に移している)、別に無職の僕には特にやることも無く 30 日間一歩も家を出なかった。
それはそれで問題な気もするが、しばらく求職期間は続きそうだ。
しかしながら、今日は 1 ヵ月ぶりに外出をした。内容は海外旅行保険の保険金申請で、これはネパールのポカラで負傷したときのもの。ようやく旅が終了したように感じる。
外を歩いてみると、マスクを着けている人の割合は半分ぐらいだ。やっぱり四月初旬をピークに緊張感は下がっているようで、実際には感染する確率の高い今よりも、四月初旬の方が帰国者に対して厳しい目が向けられていたと思う。
何はともあれ三月下旬に帰国した(時期的に PCR 検査はしていない)僕自身も判断が遅れていたわけで、ご心配をおかけした事は誠に申し訳ない。言い訳がましくはなるが、帰国判断を迷っていた時に感じたことを以下にまとめてみた。
帰国判断の遅れについて思う事
繰り返し帰国判断が遅れた事についてこの場を借りて謝罪致します。
僕の帰国判断が遅れた理由はおよそ三つ。これらについて順に説明する。
旅を完遂したいという思い
話は旅を始まる前までさかのぼる。在職中には些細な不備が絡まりあって、話が大きくなってしまったのだけど、とにかく僕はその状況に耐えられなくなって会社を辞めた。退社するまでの間には「出来ないことをやろうとした」「興味が無くなったら途中で投げ出すようなヤツだ」なんて言葉を何百回何千回と聞いた(その実際については言及しない)。
巷の噂話が耳に入ることにすら恐怖を感じるようになった。そこで始めたのがこの旅、この逃避行だった。実際のところは周りから聞こえてくる日本語からの逃避行といっていい。自分の事しか考えてないと言われれば、全く弁解の余地は無い。
とにかく旅をスタートした最初の数週間は、「すぐに日本には帰りたくない」「世界一周し始めた以上、途中で断念なんて出来ない」という思いが強かった。「途中で投げ出す」なんて言われるんじゃないかという恐怖感もあった。
そもそも世界一周イベントなんて、決して一人の力でやっている訳でもないのだ。現地の人々の優しさに支えられているし、周りの期待とか、実家の力を借りていない単身の世界一周旅行者も少ないと思う。僕の場合も、旅の中止を決めた時に「中止なんて残念だね!」なんて本当に優しい言葉をかけて下さる方々も居た。
逆に「応援するよ」⇒「このご時世に…」となった意見も勿論あった。
ともかく結局のところ、最後はネパール ⇒ トルコ ⇒ アメリカと急ピッチで周り、世界一周したともしてないともいえない結果となっている。
「一時中断 vs 中止」
ちなみに三月初旬頃を思い返してみると、「一時的に 2 か月ほど帰国して、状況が収まったら再開してはどうか」という意見も貰っていた。要は「一時中断」という選択肢だ。
三月初旬というと、ようやくダイヤモンド・プリンセス号の全乗員が下船し終わった頃だろうか。「若者はコロナに罹らない」なんて風潮が有ったり、小学校休校だったり、黄色人差別だったり、とにかく情報が錯綜している時期だった。
同じ頃に日本人のインドビザが突然無効化されて、これは僕も影響を被ったのだけれど、僕も世界一周の中断や中止が脳裏を掠めるようになった。
数日も経つと、各国が凄まじい速度で国境を閉じ始め、今までと同じように旅を続けることが難しくなってきた。あまりに急激な国際情勢の変化に、僕もそうだったが、パニックに陥った旅人も少なくないだろう。みるみる吊り上がっていく航空券代と、どんどん伸びていく外務省の声明文。流石にこの時期に日本を出国することや、旅を始めるという判断は僕でも分かりかねる。
その混乱しきった頭で考えなくちゃいけない事は「一時中断」と「中止(やり始めたことを投げ出す)」のうち、どちらを選択するかということだった。ここで「一時中断」には海外で一箇所に留まる事、いわゆる「沈没」と、「日本への一時帰国」を含んでいる。
当時の僕にとって、「旅の中止」と「日本への帰国」は同義だった。帰国してしまえば只の無職で、それから何ヵ月や何年間機をうかがい続けるほど、旅への熱い情熱を持ち合わせてはいない。元より経済活動に貢献したいという思いは強くある。
一方で世界一周なんて出発準備だけでも 2 ヵ月は掛かるし、人生で一度チャンスが有るか否かという代物なのだ。これが 1 週間ぐらいの旅行ならば、中止も容易なのだが。
不適当な例えになるが、当時の心境は自営業者のそれと少し似ていたかもしれない。極端な話、絶対に破産すると分かっていれば、廃業手続きは早いに越したことは無いだろう。しかし数ヵ月先に状況が好転するかは分からなくって、砂時計だけは落ちていく。
それと比較すると非常に些末ではあるが、世界一周旅行者も、用意した資金と挑戦できる期間に限りがある。仮に予定した期間のうちに状況が好転するのであれば、旅の中止とは只の「辞め損」になってしまう。
散々迷った挙句「やり始めた事を途中で投げ出してはいけない」という謎の強迫観念(下らないプライドといっても良い)と、「一生に一度の機会、せめて何かを掴みたい」という思いに押されて、アメリカで暫く様子を見よう、という誤った判断に至ってしまった。
現地と日本国内の温度差
加えて三月の段階だと、海外と一括りにしても国ごとに結構温度差はあったのだ。感染者がゼロだったネパールから、同じく感染者がゼロだったトルコへと渡っていたが、「日本よりも安全だからコッチに居なよ」なんて言われたりもしていた。
参考(ダイヤモンドプリンセス号除く)
2/3 韓国 累計15(日本 累計20)
2/7 ベトナム 累計20(日本 累計25)
2/12 ラオス 累計0(日本 累計25)
2/16 タイ 累計34 (日本 累計59)
2/21 ネパール 累計0(日本 累計105)
3/6 トルコ 累計0(日本 累計349)
3/18 アメリカ 累計7783(日本 累計873)
リアルタイムの情報と比べて大幅に人数が増えているものの、明らかにアメリカは判断ミスである。しかし元より渡航なんて危機感が足りなかったと言われれば弁解の余地は無い。
当時は感染者数世界五位(3/1 累計感染者数 239 人)だった日本と、それらの国々の間で少し温度差があったのは想像に難くない。「緊急事態宣言なんて、ヤバイのは首都圏だけでしょ」なんていう人が居るとしたら、その感覚と少し近い。
多くの旅人も滞在国と日本のコロナ状況を天秤にかけていたようにも思うが、やっぱり緊張感にも地域差はあったのだ。
しかしながら、アメリカに入国した直後にその温度差を肌で感じた。今や感染者数が最も増加しているアメリカだが、丁度その感染増加が進み始めた時期だった。自分がキャリアとなるリアリティは日に日に増し、たかだか数ヵ月では状況が好転しない事に気づいた。つまり三月下旬になってようやく、「今我慢すれば…」といった次元でもないことを知った。
そして判断が遅れに遅れた結果、フロリダ州で外出規制が敷かれる直前、つまり三月下旬に帰国することを決めた。
今後について
以上が帰国判断の遅れに対する「言い訳」である。不要不急な渡航ではあるので、言い訳にすらなっていないんだけれども、とにかくご心配をおかけした事は誠に申し訳ない。胸の奥底にネガティブなものは残るものの、多くの旅人にポジティブなものを沢山貰ったことはとても意味のある時間だった。
「会社辞めたの?最高じゃん!」って言われたりとかね。本当に全肯定してもらえた。そして現地の方々の優しさも嬉しかった。
最終的に旅は消化不良の状態で終わったものの、その代わりに今後は誰かの旅のサポートでも出来ればと考えている。例えばカウチサーフィンにホスト側で参加するのも良いかもしれない。ひょっとしたら「いるかホテル」も、気づけば本当にホテル側へと向かうわけだ。
限りある時間、リソースを今後どこに投入するかまだ迷っているけれども。
いずれにせよ、かつてのように海外旅行ができるようになる為には、個人旅行者達が率先して道を切り開いていく必要があるわけで、当然今は難しいかもしれないが、今後は応援していきたいと思っている。